大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和40年(合わ)93号 判決

被告人 鈴木三千夫

主文

被告人を懲役二年に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三九年九月から東京都練馬区北町二丁目二一七番地所在の不動産取引業佐藤興業株式会社に自動車運転手として勤務するかたわら営業の手伝いをしていた者であるが

第一昭和四〇年三月二四日午後八時頃から午後一〇すぎまで同都北区上十条三丁目一〇番地加藤方二階の居室において右会社の同僚二名とともに飲酒したのち、右会社所有の普通乗用自動車(練五な四八-六五号)を運転して同人らとともに国鉄板橋駅西口附近のバー「渚」に赴き飲酒したため、かなり酩酊したが、同日午後一〇時四〇分頃同店を出て右自動車を運転して帰途につき同僚を送り届けた後、国鉄駒込駅前から同都北区王子方面に向つて進行し、午後一一時三〇分頃、同区西ケ原一丁目五五番地先に差しかかつた際、折から前方の霜降橋交差点の信号機が停止信号であつたため、同所に停車中の普通貨物自動車の後方に一旦停車したところ、酩酊のためブレーキの操作を誤つて発車させ、自車の前部を前記貨物自動車の後部バンバーに追突させながら降車して謝罪しようとしなかつたため、右貨物自動車の運転者鈴木宏昌から被告人の車の運転席右側の硝子をおろした窓ごしに「酒を飲んでいるな。交番へ行こう。車を端に寄せたらいいだろう。」などと怒鳴られ、このままでは警察に連行され、酩酊運転と追突事故によつて処罰されるばかりでなく、運転免許を取消され、自動車運転の業務につくことができなくなると考えたので、とつさにその場から逃走しようと決意し、直ちに自車を約二・二メートル勢よく後退させたうえ、ハンドルを右に切つて発車し、窓ごしに被告人の右襟首附近とハンドルを掴んでこれを阻もうとした鈴木を振り切つて前方をみたとたん、逃走を阻止するためボンネツトの上に俯伏せになつた前記貨物自動車の同乗者笹川政夫(当時四三歳)の姿を認めたが、同人を振り落してもあくまで逃走しようと企て、自車を約三三メートル急進させて時速約三〇キロメートルに加速したうえ、急停車の措置をとり、その衝撃によつて同人を自車の前方約二メートルの路上に転落させ、よつて同人に対し約九ケ月間の入院加療を要する左大腿骨頸部複雑骨折等の傷害を負わせ

第二呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれがある状態で前同日午後一一時三〇分頃、同区西ケ原一丁目五五番地先の路上で前記自動車を運転し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(殺人未遂の事実を認定しなかつた理由)

本件第一の訴因の要旨は、被告人は判示の日時、場所で停車中の普通貨物自動車に自己の自動車を追突させ、その場から逃走しようとした際、これを阻止するため自車ボンネツトの上に乗つた右貨物自動車の同乗者笹川政夫の姿を認めるや、もし同人を路上に転落させれば、その頭部等を舗装路面に強打し、あるいは交通頻繁な同所附近においては他車が同人を轢過し、これを殺害するに至ることがあつても、逃走のためにはやむを得ないと決意し、自車を約三〇メートル急進させ、時速約三〇キロメートルに加速したうえ、急停車の措置をとり、その反動により同人を路上に転落させたが、同人に判示のような傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかつたものである、というのであるが、これに対し当裁判所は右の未必的殺意を排斥して判示のとおり傷害の事実を認定したので、以下にその判断を示すこととする。

まず、被告人の供述についてみると、なる程、昭和四〇年三月二五日付司法警察員に対する供述調書中には「逃走しようとしてハンドルを握つたところ、今まで私の襟首を掴んでいた若い方の男がハンドルのすぐ前のフロントガラスに寄りかかるようにして腰かけていた。もう一人の年配の男が窓ごしに私の襟首を掴んできたので、ボンネツトの上の男を振り落して逃げてやろうと思いつめた。このような方法をとれば、男は路上に転落するであろうし、転落した場合には多かれ少かれ負傷するのであろうし、道路は舗装されているから、はずみをくつて落ちた男が怪俄だけでは済まず、打ちどころが悪かつたり、車の下にまき込まれたりして死ぬことになつても仕方がないと考え、アクセルを強く踏んで発車した。発車すれば驚いて飛び降りてくれるかも知れないとも予想したが、この予想もはずれてしまつたので、このままでは仕方がないから一旦急停車して振り落そう、その結果相手に傷を負わせたり、相手が死ぬようになつても、この場合仕方がないと決心して約四〇メートル走つてから急ブレーを踏んだ。」旨の記載部分があり、同月三〇日付司法警察員に対する供述調書中には「発車直後、ボンネツトの上にはい上つた男を発見し、このまま進行すれば、動揺で落ちはすまいか、落ちたら怪俄するであろうし、また車にひきこんで轢き殺すかも知れないと思つた。逃げたい気持や乱暴されたくない気持から停車しなかつた。また加速されないうちに飛び降りてくれればよいという淡い期待もあつた。こんな気持で約一〇メーメル進行するうち右の危険が高まり、相手も飛び降りるどころでなくなり、ますます私の席のそばの三角窓にしがみつき、フロントガラスに押しつけられるように上体を起したが、それでも私は車を止めず、時速約三〇キロメートルになつた。相手の男がどうなつてもかまわない、逃げだせればよいという気持で約四・五〇メートル進行した。そこで私は一旦車を止めれば、相手の男は身の危険を感じているので飛び降りるか、または反動で車からずり落ちて離すことができるかも知れない、そうしたらすぐ逃げようと考え、一気にブレーキを踏んだ。」旨の詳細な記載部分があり、右各供述はいずれも強制、脅迫等によるものではなく、任意になされたものと認めることができる。

しかしながら他方では被告人の同月二八日付司法警察員に対する供述調書中には「ブレーキを踏んだとき、相手がどうなるかなどと考えるゆとりはなかつた。結果について考えることなく、逃げたい一心でブレーキを踏んだ。」旨の、また被告人の検察官に対する供述調書中にも「交通頻繁な舗装道路の上に落ちれば怪俄をすることが多いし、当りどころが悪かつたり、他の車に轢かれたりすれば、もつとも運が悪いときは死んでしまうかも知れないということは判つていたが、そのときは酒に酔つて判断できず、ともかくも逃げたい一心でボンネツトの上に乗られては困ると思つて、急に止まつてそのはずみでボンネツトから離れて貰うことにした。」旨の未必的殺意を否定するような記載が認められるのであつて、これらを綜合すると右殺意を肯定する前記各供述はしかく自発的に真相を述べたものとの心証を惹き起こすには足りない。また右の供述はこれと関連している前後の供述内容からみると被告人が捜査官から理詰めの取調を受けた結果犯行当時の心境というよりむしろ後から考えた理屈を述べたのではないかとの疑いも否定し去ることができないから、さらに諸般の事情を検討することなく、前記各供述によつて直ちに被告人に未必的殺意があつたものと速断することは早計であるといわなければならない。

いま被告人が本件犯行を敢行するに至つた経緯とその際の状況を検討すると、被告人の司法警察員に対する供述調書三通ならびに検察官に対する供述調書、証人鈴木宏昌の当公判廷における供述、当裁判所の証人笹川政夫に対する尋問調書、司法警察員および司法巡査作成の実況見分調書を綜合すると、被告人は判示の交差点前で追突後その場から逃走しようと企て自車を勢よく約二・二メートル後退させ、ハンドルを右に切つて発車させたので、鈴木は運転席右側の窓ごしに左手で被告人の右襟首附近を、右手でハンドルを掴んで「止まれ。」と叫んだが、被告人がこれに応じなかつたため、そのままの状態でひきずられるように、六、七歩走つたのち、身の危険を感じ両手を離したこと、被告人は鈴木が自車から離れたので前方をみたところ、ボンネツトの上に乗つている人影をみて狼狽したが、あくまで逃走しようとして発進地点から約三三・三メートル走行して時速約三〇キロメートルに達したとき、同人を振り落すため、急停車の措置をとり、ハンドルを左に切つて約八・六メートル前方に前輪を左に曲げた状態で停車させ、同人をその衝撃によつて同所から約二・三メートル前方の路上に転落させ、直ちにその場から左折して西巣鴨方面に向つて逃走したこと、当時右現場附近における交通量はさ程多くなく、前記交差点手前で被告人の自動車の後方に停車していた二台位の自動車も被告人が逃走を企てた頃にはすでに被告人の車を追い抜いて発車していたため、被害者が路上に転落したとき、同所附近を被告人の車と同一方向に走る他車はあまりなかつたことが認められる。なお、被告人は当公判廷において、被害者を振り落すために急停車の措置をとつたのではなく、一旦停車して同人がボンネツトから降りたすきに逃走しようとしてブレーキを踏んだところ、酩酊のためその操作を誤り、急停車したものである、と述べているが、関係証拠および前段認定の事実を綜合すれば、被告人が自車を後退させてから後の行動は十分に意識され、計算されたものと認められるから、前記供述はとうてい信用できない。そして疾走中の自動車のボンネツトの上に乗つた人が急停車によつて転落した場合、その自動車または後続する他車によつて轢かれたり、路上に身体の重要部分を強打したりして負傷し、そのために死亡することがあることは交通事故においてしばしば生起することであつて、本件においては、前記認定のとおり路上に転落した笹川が被告人の車またはこれに後続する他車に轢かれる危険性はさ程なかつたものの、当裁判所の証人榎本俊康に対する尋問調書によれば、現に笹川はその腰部を路上に強打して判示のような重傷を受け、一時は生命に危険な状態に陥り、もしもつと打ちどころが悪ければ右以上に重篤になつて死亡したかも知れない状況にあつたことが認められるから、前記のよう状態で転落すれば負傷するであろうことは通常一般に予見できる範囲に属し、被告人も本件当時少くとも傷害の結果を認識し、認容していたものと推認することができ、さらに死の結果をも認識し、認容していたものとうかがう余地もないことはないけれども、本件被告人の所為は、人を殺す行為として見るときは、例外的なものに属し一般定型性をもつものということはできないものであるところ前記認定の事実によれば、被告人が自車のボンネツト上に被害者を発見したことは全く予想外の事態で、しかも被害者を発見してから急停車の措置をとるに至るまでの時間は極めて短く、三、四秒位であつたことがうかがわれるから、このような瞬間的な状況のもとで突嗟の行為として右の犯意を形成するゆとりがあつたか、どうかも疑わしいというべきであること、および自動車の速度も未だようやく時速三〇キロメートルしか出ていなかつたこと、急停車する際に、前方へ振りおとした被害者を自車において轢くことのないようハンドルを左にきつていること、人を殺してまでも逃げようとするだけの重大な動機も認められないこと等を合わせ考えると、本件犯行当時被告人には死の結果の発生についての認識およびそれに対する認容まではなかつたものと推認する方が相当と認められるのである。さらに犯行後の状況についてみても、被告人の当公判廷における供述ならびに昭和四〇年三月二五日付司法警察員に対する供述調書、証人鈴木宏昌の当公判廷における供述を綜合すると、被告人は笹川を転落させた後、左折して西巣鴨方面に向つて約二〇〇メートル走つてから小用をたすために停車し、さらに被害者の様子をみるため前記転落場所附近まで歩いて引き返したが、すでに被害者らの姿がみえなかつたので、自車のところまで戻つたことがうかがえるのであつて、もし逃走のため未必的にせよ殺意をもつて本件を敢行したとすれば、犯行後さ程遠くない場所で小用をたしたりすぐ現場に引き返えしたりすることは通常考えられないことというべきであるから、右の事実からも被告人が死の結果まで認識してあえて本件に及んだと推測することには疑問がある。

以上のとおり、未必的殺意を肯定する前記各供述はいずれもそのまま真実を述べたものとしては措信することができず他にこれを認めるに足る証拠はないから、判示のとおり傷害の事実を認定した次第である。

(確定裁判)

被告人は昭和四〇年二月一八日、川口簡易裁判所において業務上過失傷害罪により罰金五、〇〇〇円に処せられ、右裁判は同年四月二三日確定したものであつて、右の事実は被告人の当公判廷における供述と前科調書によつて明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち第一の点は刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、第二の点は道路交通法第一一七条の二第一号、第六五条、同法施行令第二七条にそれぞれ該当するが、右各罪と前記確定裁判のあつた罪とは刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので、同法第五〇条により未だ裁判を経ない前記各罪についてさらに処断することとし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、各罪の所定刑のうちいずれも懲役刑を選択したうえ、同法第四七条但書、第一〇条により刑の重い傷害罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で量刑すべきところ、被告人は道路交通法違反の罪によりすでに二回処罰され、昭和三九年六月に業務上過失傷害事件を惹起している者であるから、自動車の運転に当つては特に自戒しなければならないのに、酩酊運転を敢てして追突事故を起し、刑事処分や行政処分を免れたいという利己的動機から無謀にも走行中の自動車から被害者を舗装道路上に転落させ、場合によつては死の結果を生じたかも知れない重傷を負わせ、一家の支柱である被害者を生涯回復不能の不具者にして今なお病床に呻吟させ、被害者はもとより家族に対し図り知れない苦痛を負わせたものであつて、犯行の動機、態様、結果のいずれからみても本件は極めて悪質な犯罪といわなければならず、さらに犯行後においても改悛の情顕著とは認められず、また被害者との間には一応示談が成立し、被告人はその父とともに被害者に対し本件による一切の財産上の損害を賠償し、後日協議によつて定める慰藉料を支払う旨を約しているけれども、現在までには財産上の損失すら十分には回復されておらず将来慰藉料額の協定も円満になされる保証もない状態であるから、これらの諸般の事情を考慮して被告人を懲役二年に処することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用してその全部を被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 江里口清雄 山田和男 島田仁郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例